お寺の歴史

当山は山号を久栄山(きゅうえいざん)、寺号を妙隆寺(みょうりゅうじ)と申し、山梨県身延町にあります身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)を総本山とする日蓮宗のお寺です。宗祖日蓮大聖人の大曼荼羅を本尊とし、法華経をよみ、題目(南無妙法蓮華経)を唱えます。

開創は、本山本土寺(千葉県松戸市・あじさい寺として親しまれる)歴代第九世妙高院日意上人によって室町年間の文明3(1471)年になされました。当時は、佐倉城の大手門を出た右手(現在の佐倉市城内町)にございました。

その後、宝永年間(1704~11年)に佐倉藩の禄高が上がり、侍屋敷を増やすにあたり、現在の地に移転されました。

佐倉七福神の一つ(大黒天)です。

守護神として大黒天・子安鬼子母神・瘡守稲荷大明神・清正公・三十番神をおまつりし、その守護神大祈祷祭を節分豆まきとともに毎年2月1日に行っています。寒中百日間結界の荒行を成満(じょうまん)した修法師(僧侶)がご祈祷をします。ご祈祷は江戸時代より盛んであり、その当時に祈願奉納された絵馬からは往時の人々の暮らしぶりがうかがわれます。

境内の墓所には、日本で初めて種痘(天然痘に対する免疫をつけるもの)をしたとされる医師、鏑木仙安・尚安、日本地図を作成した探検家・佐波通任ほか先人が多く眠っていらっしゃいます。

境内案内もあわせてご覧ください。

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