ラオス紀行:「学校贈呈式」編

「ラオス」という国をご存知ですか?

ASEANに所属する東南アジアの国の一つで、地理的にはタイ・ミャンマー・中国・ベトナム・カンボジアと接しています。ASEAN各国の中でも開発が遅れている国の一つといえ、学校や医療などが慢性的に、圧倒的に、不足しています。

ラオスに学校を建設するプロジェクトがあるのですが、私たちも微力ながらお手伝いさせていただき現地に小学校校舎が建設され、現地で行われた贈呈式に先ごろ参加してまいりました。今日はそのことを書きたいと思います。

このあたり北総地域の日蓮宗寺院の寺庭婦人(じていふじん・お寺を支える女性たちのこと)の組織があり、寄付をしてラオスに小学校校舎を建設することになりました。実際にそのプロジェクトを推進してくださったのはBAC(仏教救援センター)というNGOです。校舎の完成に際して贈呈式が行われることになり、日本からも10数人が参加しました。

ラオス南部にある第三の都市、パクセ。そこからさらに三時間ほど南下したチャンパーサック県コーン郡ドーン・ピーメン村の集落に小学校があります。そこにはもともと校舎がありましたが不十分な施設であったため、新校舎とトイレを寄贈しました。

通常の観光旅行ではまず行く機会の無い場所です。まずはバンコクからタイ東部のウボン・ラチャタニという町へ国内線で向かいます。そこからは陸路になります。70キロほどで国境を越え、さらに一時間ほど進むとパクセに着きます。ラオスはメコン河の流域に位置する国の一つですが、パクセやチャンパーサックの町もメコン河沿いにあります。
人口密度の低い国なので、パクセも第三の都市とはいえすぐに田園地帯に入ります。道をマイペースに牛や水牛が渡り、本当にのどかな光景です。幹線道路は舗装されていますが、ボコボコと穴が開いている所も。運転手さんは慣れたもので、綺麗にハンドルを切って避けてくれます(もちろん避けきれないことも・・・)。

ガタガタした道をしばらく行くと、視界が急に開けてメコン河に出ます。ここをフェリーで渡ります。フェリーといってもモーターのついたいかだに車が乗るようなイメージです。そして、中洲の島に上陸しさらに進みます。しばらく行って車を降り、今度は小舟で川を渡ります。

ようやく小学校に到着です。
小学校はお寺と一緒に開けた場所にありました。集会所のような建物もあり、いわば集落の寄合所という感じです。昔の日本の集落もこういう感じだったのではないかなあと思わせるような、どこかのんびりとして懐かしい風景です。そうそう。ここ妙隆寺にも、かつては「妙隆寺小学校」があったそうです。寺子屋ですね。

ようやく小学校までたどり着きました。目の前には、水色と白のペンキで塗られた、真新しい校舎が輝いていました!その横には旧校舎もそのまま残されています。じきに新校舎で贈呈式が始まりました。建築会社→寺庭婦人会の代表、代表→県の教育担当者、教育担当者→校長の順に学校の鍵が手渡されてゆき、学校の贈呈は目に見えて進められました。

続いて、各代表の方からスピーチをいただきました。

その中で特に印象的だったお話が二つ・・・建設会社の方が話された、「現地の人たちに一緒に働いてもらう」ということ。建設会社自体は首都ビエンチャンにあります(パクセからでも飛行機で80分かかります)が、現地の方たちが一緒に工事に関わっていくことで、今後近隣で同じような機会がある場合でも、その方たちが先頭に立って工事を進めてゆけることになります。それはひいては、地域の発展にもつながるわけです。もう一つは、前述のBAC代表の方(この方も日蓮宗のお上人です)が話された、「全てを丸ごと寄贈するのではなく、机や椅子は自分たちで調達してもらう」ということ。調達方法はケースバイケースで、行政で準備する場合もあれば大人たちがお金を出し合って買う場合もあるし、自分たちで作る場合もあるということでした。全てを寄贈するのは不可能なことではないが、自分たちも関わる部分を作ることで自然と大事に使うようになるし、やってもらうことが当たり前にならないそうです。なるほど、と思いました。というのは、知り合いの方が南米で水道工事のノウハウを一生懸命教えてきたけれども、現地の人は自分たちでそれを続けて(つないで)いこうとは考えず、結局また現地へ戻って同じことを繰り返している、という話を聞いたことがあったからです。援助するにあたっては、いかに現地の人たちがそこから自分たちの力で続けてゆけるようにできるかが肝心なのだなあと思いました。

贈呈式の最後には、児童たちに日本から持参した文房具や遊び道具などを渡して、教室中がはにかむような笑顔でいっぱいになりました。

続いて、隣の教室に移って「パーシー」という儀式が行われました。これは、お祝いの時に行われる儀式で、以前ビエンチャンで結婚式に参列した折にも行われました。お坊さんや集落の長老の先導のもとお祈りが唱えられ、その後参列している人々が幸福や繁栄を願ってお互いに手首に白い糸を巻き合うのです。この糸はお守りのようなもので、かつては自然にほどけたり擦り切れたりするまで着けていたそうですが、最近では3日着けていれば良いそうです。おごそかでありながら華やかさもある、とても素敵な儀式です。

そうこうしているうちに、お母さんたちが手に手に竹かごやお皿をたくさん持ってお部屋に再び入ってきました。

お食事です!竹かごにはもち米が、お皿にはお料理がたくさんのっています。これらは皆、お母さんたちがそれぞれのおうちで準備してくださったものなのです。野菜炒めもあれば、スープもあり、干し魚もあります。これらを、もち米と一緒に片手に一口サイズで軽く握って、手でいただくのです。最初はなかなか上手に食べられませんでしたが、食べ方を教えてもらい、だんだんと慣れてきて本当に美味しくいただきました。辛いお料理はほとんど無く、どれも程よい塩味が効いていてついつい食べ過ぎてしまったくらいです。たくさんのお料理に、準備してくださった皆さんの気持ちの深さを感じました。

次は皆でダンス・・・とラオスの宴は続いていくのが常なのですが、帰りの道のりが長いため残念ながらここで失礼することに。

ごくごく簡単なラオス語と英語でのコミュニケーションでしたが、身に余るほどの感謝の言葉をいただいて学校を背にしました。

ラオスの素朴さや温かさにたくさん触れることができた貴重な日でした。

続いて「世界遺産」編です!(慧香)

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