ラオス紀行:「世界遺産」編

「学校贈呈式」編に続いて、「世界遺産」編をお届けします。

今回の旅では、ラオス国内にある世界遺産の中の二か所、「ワットプー」と「ルアンパバーン(ルアンプラバン)」を訪れることができました。

「ワットプー」はクメール寺院、「ルアンパバーン(ルアンプラバン)」は古都です。

「ワットプー」は2001年に一帯が世界遺産に登録され、まだ知る人も多くなく交通も便利とはいえない場所ですが、一方の「ルアンパバーン」は街全体が1995年に世界遺産として登録され、欧米人にはアジアののんびりしてオリエンタルな雰囲気とフランス統治時代の文化が適度に融合し、洗練された観光地といえ人気があります。近隣のタイやベトナムからも直行便が飛んでおり、英語もかなり通じるので、旅行しやすいです。

ワットプーはパクセからバスで二時間ほどで行くことができます。途中、フェリーでメコン川を渡り、のどかな道を行くと、遠くに見える山肌に建物や階段、バライと呼ばれる聖池が見えてきて、聖なる場所が近づいてきたことがわかります。ワットプーは、ラオスに仏教が入る前にヒンドゥー教が広まっていた頃の寺院です。カンボジアのアンコール遺跡群と同様のクメール様式で、アンコールワットなどが作られた後に北上する形でワットプーも作られたのではないかと言われています。このため、彫り物も建物の様式もアンコール遺跡群のものと似通っているように感じられましたが、修復が進んでいないため、とても立派なレリーフ(柱だったのではないかと思われます)が横に積まれて階段に使われていたり、仏像が野ざらしにされていたり・・・と勿体ない感じがしました。アンコール遺跡群のように世界の人びとがもっと知るところとなれば、修復も進み文化的な価値も上がるのではないかという気もしましたが、それはそれで素朴な良さもありました。観光客はタイ人がとても多かったように感じました。余談ですが、タイ人とラオス人をどうやって見分けるかというと、言葉の違いからリアクションの違いが見えてきます。それと、ラオスの女性は民族衣装のスカートを履いていることが多いです。ラオスの民族衣装についてはまた後ほど書きたいと思います!

ヒンドゥー教の後に仏教が広まったため、遺跡には随所に仏像が安置され、お供えものがあがっていました。お祈りを捧げている方もたくさんお見かけし、文化が綺麗に融合し現代へ受け継がれている様子が見てとれました。また、聖池もそうですが、遺跡を上っていくと聖水が祀られている場所があり、お水が大切にされていたこともわかりました。古来、参拝の人びとは体を浄めてからお参りしたそうです。そしてそれは、男女が左右に分かれて行われたとのことです。このため、宮殿が北と南に分かれています。

私たちが訪れた時期は雨季では無かったのですが、ワットプーを訪れた日だけ雨が降りました。かなり強い雨で、遺跡の一番奥まで行くのがためらわれたほどでしたが、水に濡れた石は美しく輝き、木々はより青々として、生き生きとした姿を目にすることができました。

学校贈呈式を終えた後、私たちはラオス北部で最大の街、ルアンパバーン(ルアンプラバン)へ空路にて向かいました。こちらは、首都が現在のビエンチャンに移る以前にラオスの国の中心だった古都です。ルアンプラバンというのは街の旧名称なのですが、現地の人びとはそのまま使っている人がほとんどですので、私もならいたいと思います。

この街は、古いお寺がたくさんあり、ルアンプラバン様式と呼ばれる屋根の姿がとても美しい、歴史を感じさせてくれる街並みの中で今も人びとが生活しています。日本の京都のイメージに近いです。一方で欧米の旅行者が多いためか瀟洒なホテルやカフェ、ショップが充実しており、治安も悪くなく、観光しやすい街といえます。

今回は、二泊三日の滞在でした。最初の日は夜に着いたので、ナイトマーケットをぶらぶら歩いて楽しみました。モン族の刺繍をモチーフにした小物や伝統的な意匠の織物、木の細工物やTシャツ、ラオス特産のコーヒーなどがずらりと並んでいます。のんびりとした雰囲気は夜も変わらないので、ゆっくりと楽しめます。

次の朝は、托鉢(たくはつ)の見学から始まりました。托鉢とは、僧侶に施しをすることで善行を積む行いです。日本では托鉢と呼びますが、これはサンスクリット語を音から取り入れて漢字をあてた(音写)もので、ラオスやタイでも同様に、「トゥクバー」と呼ばれています。ルアンプラバンの托鉢は、風物詩としても有名で、毎朝5時半ごろからオレンジ色の僧衣を身に着けた僧侶が列をなして街をそぞろ歩きます。人びとはひざまずいて僧侶たちに手を合わせたのち、手にした竹かごから蒸したもち米や袋に入ったお菓子、紙幣などを僧侶が持つ鉢の中へ入れていきます。私たち観光客は、邪魔にならないように気を付けながらルールを守って(ルールはポスター等で確認できます)その様子を見学させていただきますが、近年では心無い人々がルールを破ってしまうことも多いそうで、現地では憂慮されていると聞きました。托鉢の際、女性は肩からスカーフをかけるのが習慣だそうです。それは、左肩から右斜め下に向けて巻かれます。これは、右肩をあらわにする(偏袒右肩・へんだんうけん)ことによってお釈迦様への尊敬や帰依を示したことに由来します。日蓮宗には、たすきのような形状の折五条(輪袈裟とも)と呼ばれる略式の袈裟があります。私もちょっとした時にしばしば着ける機会があります。こちらも同様に、左肩から右斜め下に向かって着けます。それぞれの長い歴史の中にあって同じルーツを実感できることはとても嬉しいと思いました!続いて、地元の人で賑わう朝市へ。野菜やお米もあれば、カエルやコウモリといった日本では見かけない食材もありました。生活の中心として活気にあふれています。
朝食を済ませたのち、船で「パクーウー」という洞窟に向かうツアーに参加しました。25キロほどメコン川を上ったところにある洞窟には、無数の仏像が安置されています。かつてルアンプラバンが侵攻された際に、ほうぼうの仏像を守るため洞窟内に集められたものです。今でも、観光客のみならず地元の人びとの信仰の対象となっています。近隣には、ラオス特産の米焼酎「ラオ・ラーオ」を製造する村もあります。

ルアンプラバンの街に戻って、お寺を散策。軒を連ねるお寺の中でもひときわ古いのが、「ワットシェントーン」です。1560年に建てられたお堂の屋根は、大胆ななかに優雅さを感じさせてくれる本当に美しいつくりです。私たちは道路側から入りましたが、正面はメコン川に面しており、船着き場からまっすぐにお寺に入れるように階段が伸びています。かつては、隣国のタイやカンボジアから参拝者が船で訪れるのがメインだったそうです。昔の姿をそのままにとどめています。お堂内の装飾も綺麗でした。

巡ったお寺の中に、「身延山大学」(総本山の身延山久遠寺に隣接している大学で、お坊さんへの道vol.2“学”にて書きました、教義に関する講義・試験を受けた学校です。)が当地で仏像の修復を行っていることが書かれていました。またまたラオスを身近に感じることができました。お寺の中には古い仏像がなすすべもなく転がっているところも目にしていて心が痛む思いでしたので、修復が進められていることを知り嬉しく思いました。
そうこうするうちに夕方が近づいてきたので、「マウント・プーシー」へ。ルアンプラバンを一望できる、小高い山です。美しく重なったお寺の屋根やゆったりと流れる二本の川、周囲の山々とともにここから見る夕陽は、なかなか圧巻です。
夜は、ラオスの伝統舞踊を見ながらお食事をいただき、昨晩と同じ夜市でお土産を買いました。盛りだくさんの一日でした!

3日目も托鉢の見学から始まりました。カオピヤックと呼ばれる、日本のうどんに似たさっぱりした麺を朝ごはんでいただいてからルアンプラバン国立博物館へ。ここは、かつて王宮だった建物なので、散策するだけでもルアンプラバンの文化を感じることができます。ラオスが王政だったころの調度品や宝物、美しい衣装などを見ることができます。曜日によっては、お庭で伝統舞踊を見ることもできるそうです。

まだまだ書きたいところですが・・・かくして二泊三日のルアンプラバンの旅が終わりました。かなりアクティブに観光した印象を持たれるのではないかと思いますが、実際はけっこうのんびりお茶をしたり散策をしたりしています。というのも、ルアンプラバンの街はそれほど大きくないのです。

私は今回、二度目のルアンプラバンでした。3年ぶりだったのですが、前回より洗練された印象とともに、短い間に近代化しているイメージを持ちました。きっとこの先もどんどん変化を遂げていくのだろうと思います。

もし、ラオスに関心を持たれた方がいらっしゃいましたら嬉しいです。

続きまして最後は、「民族衣装」編です。(慧香)

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